
2011年に「ラムダイアリー」での共演をきっかけに交際をスタートしたジャック・スパロウ船長ことジョニー・デップと「アクアマン」のヒロイン役として有名なアンバー・ハードのあっちが殴った殴られたの泥沼離婚劇だがついにデップ側に過失があるとして公式に敗訴した。この結果としてジョニーはハリー・ポッターシリーズのスピンオフシリーズ「ファンタスティックビースト」のゲラート・グリンデルバルド役を降板した。(ちなみに代役はヨーロッパの至宝マッツ・ミケルセンだ。)
DVの構図とは男性→女性のみなのだろうか?
しかし、ジョニー側だけがなぜ世間から叩かれ続けなければならないのかという声も少なくない。玉石混交のインターネットの情報ではあるが、「火の無いところに煙は立たない」というぐらいにアンバーにもジョニーにDV行為を行なった証拠の写真などが散らばっていて、DVは男性→女性だけではなく、女性→男性にも起こりうることであり、その行為を軽んじてはならないというある種男性版「#MeToo」運動だと言ってもいい。
Justice For Johnny Depp(ジョニー・デップに正義を)

顔に殴られた跡や指先を切られた写真などが掲載されている。
これらの写真は今回の運動で使われている写真の一部である。もっともこう言ったような男性と女性の暴力行為を伴うケースになると本能的に弱者の味方をするのが自然だと言える。しかし、その構図は旧態依然なのでは無いかと思う人も少なく無い。男性もDVの被害者として認められても不思議では無いのだ。
喧嘩両成敗

もしあなたが14歳と13歳の子供の母親で自分の子供たちが喧嘩をしていてどちらと相手に手を出していたらどうだろうか?両方の子供をあなたは叱るだろう。

ではもしそれが50代の男性と30代の女性だったらどうだろう?あなたは両者をフェアに叱ることができるだろうか?それとも弱者の味方となって男性を叱りつけるだろうか?
ジョニーは今回、敗訴したことをきっかけに映画のイメージ優先して「ファンタスティックビースト」の悪役を降板したが、アンバーはこちらも人気アメコミ実写版「アクアマン」の続編を降板していない。この差はどこから生まれるのだろうか?果たして男性と女性が本当の意味で「平等に」扱われる時代は訪れるのであろうか?