【ハルキストの部屋】第2段 作家村上春樹について 【連載】

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こんちわ、Shunです。村上春樹の長編小説を全部読んだことある自称ハルキストです。彼の好きな作品は『世界の終わりとハードボイルドワンダーランド』。

第二回目も、職業としての小説家の内容に触れながら、作家村上春樹が20代をどう過ごしたかを紹介したい。

まず、彼の経歴について述べたい。1949( 昭和24)年、京都市生まれだ。7年かけて早稲田大学第一文学部卒業。1979年に『風の歌を聴け』でデビューし、群像新人文学賞を受賞した。

若い人が一軒の店を開くのに、今みたいに大層なお金はかかりませんでした。だから僕と同じように「会社に就職したくない」「システムに尻尾を振りたくない」みたいな考え方をする人たちが、あちこちに小さな店を開いていました。喫茶店やレストランや雑貨店、書店。うちの店のまわりにも、僕らと同じくらいの世代の人がやっている店がいくつもありました。

1960年代に学生運動が盛んだった時期に村上春樹は一浪を経て、早稲田大学に入学し、村上春樹が20代だった頃は1970年代だ。当時は学生運動に参加していた若者がたくさんおり、社会の歯車やシステムの一員になることを嫌って、様々な形態で店を構えていたとのことだ。

村上春樹自身は学生運動に興味はなく、むしろ参加していた者達の過激な思想や矛盾した行動に嫌悪感を抱いていた。彼は、社会のシステムに尻尾を振りたくないなどの理由で、ジャズバーを開いたと推察できる。

好きなことをしているとはいえ、ずいぶん借金を抱えていたので、それを返済していくのが大変でした。銀行からも借りていたし、友だちからも借りていた。でも友だちから借りたぶんはすベて、数年できちんと利子を付けて返済しました。毎日朝から晩まで働き、食べるものもろくに食べないでちゃんと返した。

連載の第一回でも述べたが、村上春樹は店を経営していたときに資金繰りに苦労し、金に困っていた。友人に金を借り、食べるものに困るほど、当時は大変だった。







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